教育とコーチング

【苫米地博士による最新の教育概念】

教育は誰のため?

教育は誰の何のためにあるのでしょう?

あなたはどう思いますか?

①本人のため?

②国家のため?

③社会のため?

正解は・・・・・

①教育は、本人の幸せのため!そう思っている大人や教師たちも多いが
「それは大間違い!」と苫米地博士は言い切ります!

教育は⇒ 本人以外の人の幸せのため。

つまり本人以外とは⇒ 社会。

ただし、社会といっても一部の限られた人達のことではなく。

③社会とは ⇒ すべての人(本人を含む)、
国際社会、全人類、しかも、来年以降生きている、
100年後に生きている人のことも考えた社会。

ちなみに
②国家のためは ⇒ 一部の権力者のため。

過去にはそういう時代もあった。
明治以降、戦前の日本もそうだった。

学校の「前へならえ!!」は何のため?

強い国家をつくるため?戦争に強い国?

それとも、言うこと聞いたら教師が楽だから?

世界の要人達と交流を持つ博士、

「戦争は経済のための出来レースにすぎない」

「人類は、自分以外の人が幸せになるのを
見て幸せになる種族に進化した」

という。

【最新の世界標準の教育の概念とは】

教育は、本人が社会に貢献できるようになるためのもの。

世界のエリート達も気づき始めた。
何百億を稼いでも、引退しても幸せでない。
引退後、人に投資して貢献して初めて気がつく。

日本も同じ、
お金持ちになったら幸せになれる?
良い学校、良い会社に入ったら幸せになれる?
もしかしたら親のため?

お金で幸せは買えない!
それは誰もが知っている当たり前のこと。

教育者の仕事は、知識を与えること。

それによって、どの選択が自分以外の人を幸せにできるか、
社会貢献できるようになるかの判断がつくようになる。

必要なのは、一般教養(リベラルアーツ)の知識と
世の中のカラクリを知るくらいの圧倒的な知識。

テクノロジーが遥かに進化したのに、
人間の生産性が進化していないのは、余計な仕事ばかりを増やしてきたから。

沢山の小さな知識は人工知能が変わってできるが、
遥かに大きな知識を自分で学ぶことが出来るのは人間だけ。

私たちは、社会が幸せになって初めて幸せになれる生物へと進化した。

教育は、本人のためだけではない。
社会のため、これから生まれてくる人達も含めた社会のため。

コーチングは、本人のためのものだが。
大体のコーチングはクライアントが競争社会のなかで、
勝つことを期待されて行われる。

苫米地式コーチングは、抽象度の高いゴールを持ち、
本人のためだけでなく、社会のためにもつながるようにする。

コーチングは、本人の幸せのためのもの。
そして教育は、本人以外の幸せのためのもの。

幸せとは、セロトニンやドーパミン、(オキシトシン)が分泌された状態だが、一時的なものでなく、永続的、確信的な幸せ。

本人が自分以外の人が自分の行為のおかげで
幸せになっていることを見ることが
永続的、確信的な本人の幸せになる。

そういう風に人類は進化した。

そうでない種はとっくに殺し合って滅亡している。

種が進化してきたのは、
「周りが嬉しいから嬉しい」という種が生き残って人類となってきたから。

どうしても小さい煩悩が集まって国を引っ張ったりする現象が起きるが、
それを未来まで守りながら歯止めを掛けられるのが教育の力

教育が未来をつくる。

そこにコーチングという
マインドの使い方のノウハウを合わせていく。

日本と世界の未来をつくる側、
そういう人を育てる側になって行く。